家族であっても、「1対1」か「1対複数人の家族か」で、微妙に見せる表情が違ってくるのは、人間でも猫であっても同じ様です。
猫の飾らない様子をお伝えする為に、プリューシュの排泄時の様子をお伝えします。排泄時、家族に対して見せる表情が違うという事が、猫にとってはどういう心理なのかについて着目しながら記事にしたいと思います。
猫は人を見る?「排泄物の処理はあの人にして欲しい!」
私「ノワールさんに見せる表情と私に対して見せる表情が違って見える…。」
この事を強く感じたのは、プリューシュの排泄時でした。
ノワールさんが排泄物の処理をしている時には、「見られたくない」「恥ずかしい」…そういうプリューシュの感情が空気に流れているのです。特に強く感じたのは、1歳1ヶ月頃。去勢手術を終え、身体が大人へと成長し、1歳という節目を超えた辺りから、そういう空気を出す様になりました(今では大分収まりましたが、それでも時々、微妙な空気を出している時はありますね。)
例を挙げましょう。いつも朝の排泄物をノワールさんが処理してくれているのですが、排泄のタイミングがずれてしまう事もあります。そして、数時間後に私が処理をする時、安堵というか…、「恥ずかしくない」「まだまし」「見られてても思いっ切り躊躇なく出せる(←!!?)」という感じで、排泄しているのです。
おそらく、これは人間でいう「お父さんにオムツの取り換えをしてもらうのは恥ずかしい」「おねしょしちゃった…。お母さん起きて!」という状態と同じなのではないでしょうか。
性別による優劣などという問題ではなくて、理屈ではない感情が子供を母親に向かわせているのではないかと感じました。
子猫が向ける、母猫に対する甘え
粗相をしてしまった時というのは、非常に恥ずかしいものです。出来れば人に知られたくないし、笑われたくないものだと思います。
ここで、「粗相をしてしまっても、それは悪い事じゃないのよ。」というのは、ただの理屈で、当人にとってはそんな理屈よりも恥ずかしさが勝るもの。
…ここで、粗相と書きましたが、それは排泄関連全部がそうなんだろうと思います。
子供(=子猫)にとっては、自尊心を守りたい部分もあるし、それ以前に恥ずかしくて隠したい部分もあるしで、排泄や粗相は重大問題なんだろうと思います。
自分の自尊心がかろうじて守られる様に、そして、排泄物の処理を頼むという重大ミッションを達成する為に頼んでもいい相手として、母親(=母猫)が選ばれているのではないだろうか。私はそういった感情と行動全てに、子供(=子猫)ならではの習性を見ています。
甘え下手な猫の甘え
プリューシュは他の猫と違い、ストレートに飼い主に甘えてくるといった事はしません。元々、勝気な所があってしないという事もありますが、本人が甘え方を知らないという事情もあります。
…それでもやっぱり、排泄時などには「甘え」が出てしまうものなのですよね。
事情が事情ですし、嗤う訳でもないのですが、胸の中にある気持ちを何て表現したらいいのか分からない…。
プリューシュは常に強がっているくせに、それでいて甘えたい気持ちが無い訳でもない。それなのに、どうやって甘えたら良いのかも考え付かず、自分を持て余している。そうして、時間がプリューシュを大人の猫へと成長させていく…。
私は、プリューシュに母猫と思ってもらえて有難いと感じているけど、優越感に浸りたい訳ではありません。
排泄時などという事情抜きに、そのまま、私にもノワールさんにも、身も心も寄せてくれたらいいのにと思います。
最後に
排泄時に見せる猫の微細な感情を記事にしたく、書き上げました。ただ、書いてはみたものの、文章にまとまりがなくて申し訳ありません。
でも、「こんな風に猫は猫の視点で色々と考えているらしい」や「こういう時にこんな行動を取るらしい」というのが、猫を飼っている人にも飼っていない人にも伝われば良いなと思います。